心理カウンセラーのカンザキショウゴです。
今回は、自分の棚卸しを含めて小学校の時にやっていた水泳を通して「成長曲線」と「環境が人を作る」と言う話を書きました。
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僕は小学生の頃、習い事をたくさんやっていた。
書道・ピアノ・水泳・油絵だ。
(サッカーは僕にとっては習い事ではなく遊びだったので、あえて外している。)
書道はおばあちゃんがやっていて好きだったこと。
ピアノはJDの先生が優しくて好きだったこと。(マセガキか!)
油絵は友達に誘われたことがきっかけ。
唯一、親にやらされた習い事が 「水泳」 だ。
「泳げた方が良い、溺れないように、体が強くなる」と言うよくある子供にやらせたい大人の理由だ。
市の水泳教室に通っていたが、嫌すぎて最初の頃は毎回泣いていた。
僕が通っていた水泳教室はA〜Dまでの4クラスあり、最初は全員Aクラスで課題をクリアすると次のBクラスに進むと言うシステムだった。
一番下のAクラスは「クロールを25m泳げるようになる」というのが次のクラスに進む課題であった。
嫌々だったこともあり、もちろん上手くならず友達がどんどん次のクラスに進んでいくのに自分はずっと一番下のクラスにいた。
面白くないので途中で友達とふざけて遊んでいるとコーチに激怒されてプールサイドによく立たされて泣いていた。
それでも「どうでもいい」と思っていた。しかしある日、何故か25m泳げないのに次のクラスに上げられた。
何故かBクラスに進んだ僕は、25mを泳ぐ前提の練習をすることになる。
25mクロールで泳げないのに。
クロールのタイムと平泳ぎができるようになることがBクラスの課題であった。
僕は練習に必死についていった。もう泳げないとか泣き言をいっている場合ではなく、やらざるをえない状況だった。
「環境が人を作る」とはまさにこのことで、25mを泳ぐことが当たり前の集団に入れられた僕は、いつの間にか普通にクロールで25m泳げるようになっていた。
そして何故か平泳ぎもできるようになり、少しづつ泳ぐことが楽しくなっていった。
あれほどやる気もなく一番下のクラスでくすぶっていたのに、あっと言う間にそのクラスで一番クロールが早くなり、次のCクラスに進むことになった。
自信を深めていた僕はCクラスの課題も1ヶ月でクリアして、最後のDクラスに進むことになった。
結局親の転勤でスクールが変わったりしたものの小5の終わりまで水泳を続けた僕は、選手コースの手前までいって水泳を辞めた。選手コースは、完全に競技としての水泳に取り組むことになる。
既に僕のいた選手コースの手前の段階で、形よりもとにかく目標タイムを切ることが課題になると言う競技性の強いクラスになっていた。
元々、親とは「バタフライが泳げるようになったら辞めてもいい」と言う約束をしていたこともあったが、僕は水泳でタイムを競うことに全く興味がなかった。これが水泳を辞めた一番の理由だ。
自分で言うのも何だが、身体が細くて小さい割りには結構早かったし中学で成長期が来て正しいトレーニングを積めば、選手コースでもそれなりにやっていけたかもしれない。
それでも、そもそも水泳選手になりたいと思ったこと一度もないし、ただ目標のタイムを切るために単調な練習を繰り返す。そのモチベーションは僕には一切なかった。
嫌々やっていた水泳だったが、僕は今ではやって良かったと思っている。
無理やりでも連れて行ってくれた親に感謝している。
成長は2次曲線を描くと言うこと、環境が人を作る・変えると言うことを、この頃に実感できた。
大人になってからは海やプールに行って泳ぐのも大好きだ。
もうこれだけでも十分にギフトだと思う。
自分の特徴
・好きでなくても継続できる忍耐力がある
・スロースターターである
・本当は人と競争することにあまり興味がない
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以上です。
ありがとうございました。